私とジャニオタと鬱病と

はてなブログ 私とジャニオタと鬱病


21歳。鬱病。無職。

これが現在の私を表せる三つの言葉。社会的地位の低さに我ながらびっくりします。

鬱病なのに、ジャニオタなの?ジャニオタ出来てるなら鬱病じゃなくない?

そういう声も少なくないのは分かります。

こんな人間もいるんですよって感じでこのブログを書いています。珍獣観察みたいな感じで読んでいただいて構いません笑

感情の整理の為でもあります。自分語りを読んでくださったら嬉しいです。


①アニメオタク、関ジャニにはまる

元々はテニスの王子様が好きな中学生。

イケメンはテニミュ俳優ぐらいしか摂取してこなかったバリバリのアニメオタクでした。

ジャニーズ?ああ給食の時間に嵐がよくかかっているなぁな人種でした。

私が中3の時、姉に連れていかれたのが関ジャニJUKEBOXというライブでした。

雄々しく響くバンドの音楽。はちゃめちゃなmc。泥臭く、人間臭く、輝いている。そんな彼らは私が想像していたジャニーズ像を打ち壊していきました。

テレビに出たら録画し、CD DVDは出来るだけ買う。私のジャニオタ人生の始まりです。

ちなみに大倉担に落ちたのですが、理由は幸せそうにドラムを叩いていたから、です。

あまりにもふわっとした理由ですね。

何より、関ジャニ、音楽がいい。

彼らの歌詞に出てくる人は、どこか不完全で、不器用で。それが根が陰キャラな私に刺さりました。まぁなんだかんだ、eighterをやっていきます。凄く楽しく、沢山笑いました。


Hey!Say!JUMPに出会う

またしてもきっかけは姉です。彼女の布教能力は恐ろしくもあります。

山田涼介、知念侑李、八乙女光。私が最初に知っていたのはこの3人です。理由は日曜アニメの後やってるスクール革命を見てたからです。どこまでも根がアニオタ。

入り口がちょっと特殊で、まず見せられたのはやぶひか、という二人でした。

Ya-Ya-yahHey!Say!JUMP。どちらも混在したまま映像や動画を見ていました。

歌がうまくて、笑顔がかわいいちっちゃい子。それが後に自担になる薮宏太の第一印象でした。先輩をバックに堂々と歌う姿に、王のようなカリスマ性を感じました。彼は当時から薮様でした。

光、と呼ぶ薮くんの声はいつだって愛に溢れていて、やぶひかをまるっと好きになるまで時間はかかりませんでした。

jumping carnivalの頃はまだ緩々の薮担だったんです。カウコンドームのchikutakuで完全にjumpに、薮担に堕ちました。

そしてdearに出会います。アルバムのmvで度肝を抜かれました。なんて二次元。こんな美しいものがこの世にあるのかと錯乱しましたね。ライブ演出もバリバリにかっこよくて。アルバイトをしていた事もありjumpにずぶずぶとはまっていきます。

専門学生の時、jump10周年でひたすら幸せでした。なんで言葉に書いたらいいか、いい表せないんですがとにかく幸せでした。

愛と平和に溢れた、彼ららしい10周年です。

気になったら、是非見てください。summaryとか、過去を愛しむ彼らが好きだなぁって思います。ちなみに筆者は武蔵野森のコンサートで偶々アリーナに入ったんですがシャドボのシャドウの部分、薮くんとバチッと目があって狙い撃ちされて死亡しました。いい思い出です。


③鬱にかかる。

専門学校2年。就活を徐々に始めていました。一人暮らしをしていたんですが何故か以前出来ていた料理洗濯、基本的な家事が徐々に出来なくなっていきます。録画した番組もチェック出来ずに溜まっていくばかりでした。朝、メイクする気力もなくすっぴんにマスクで学校に行き、授業の内容が頭に入らなくて、窓を見るとここから飛び降りたらどうなるのだろうと考えてしまう。そんな日々でした。

そんな時、関ジャニから大切なお知らせ、というメールが届きます。最早皆んなトラウマになっているメールです。

渋谷すばるが、退所するという。

嘘だと思いたかった。eighterの名付け親なすばるくん、あの力強いこぶしの効いた歌声はエイトの、eighterのパワースポットでした。

これが影響したかは分からないですが、身体の調子はどんどんおかしくなり、母親から表情が変だ、と言われるようになりました。

6月、初めてメンタルクリニックに足を運びました。あっけなく、鬱病と診断されて。

出された薬を信じて飲んで、日々を過ごしました。丁度資格の試験が6月にあって、しんどいながら試験を受けたのを覚えています。

試験合格したら気が緩んだのか一気に動けなくて、学校の担任に打ち明けました。

それ以降、担任の先生はかなり協力的でした。なんとか卒業できるよう頑張ってくれて、こういう大人に出会えてよかったと思います。


④フリーター生活がはじまる

なんとか専門学校を卒業し、正社員の就職をするのは不安な為、パートから始めることにしました。

とにかく無職にはなりたくなくて。何せ国民年金とファンクラブの会費は自分の手で稼がねばならん!という固い意志で、スーパーのレジでフリーターしてました。

自分の稼いだお金で、趣味を楽しめる。この充実感は何者にも買え難かったです。ジャニショがオンラインになったり地方勢に優しくなった為まとめ買いしたり沢山貢ぎました。

雑誌やCDを日々の楽しみにしつつ、ゆるく頑張れていました。


⑤地獄の9月、10

八月あたりかな?順調に働いていたのですが、夜急に体調が悪くなり、夜間病院から欠勤の連絡を入れると、無理だ出てくれと断られました。

私はそれまでかなりシフトに協力してきて残業も協力してました。誰かの代わりに入っていたのが多かった為、私が何かあったら協力してくれるのだと自惚れがありました。馬鹿らしい話ですね。10月末でやめると伝え、この職場からの逃亡を決意します笑笑丁度この辺りでファンファーレが発売されて、mvを狂ったように見てました。浄化作用が強い。

なおこの先のが地獄な模様。

9月が契約更新付きで書類関係の手続きがあったのですが、辞めると説明したのにも関わらず契約期間が来年の9月末まで!目を疑いました。書類の説明もなく、ただ記入して印鑑を押せとメモ書きが残されているだけ。

とりあえずパワハラ相談窓口に説明を求めた所回答が返ってきてほっとしていると翌日地獄が待っていました。

なんと業務中に!店長に問い詰められたのです笑なんで本社に連絡したの?そんなに私のこと怖かった?私のこと嫌いだから辞める?

ええ怖いですよ!嫌いですよ!なんて言えずただひたすら謝りました。冷や汗凄かったです。

10月、私の仕事の処理を押し付けられそうになっているパートの方には説明しなきゃなぁと思ってこれまでの経緯と私の体調のこと、諸々伝えました。ずっと気にかけてくれた人だったから、話してもいいかなと思い打ち明けました。するとお食事の誘いをいただきご飯に行くことになりました。

色んな事相談した後、話聞いてくれてありがとうございます、と言った時。その方は鞄から某宗教の新聞を取り出して、私に見せてきました。

まぁ要約は宗教の勧誘だったんですよ笑笑もう笑うしかない笑笑私の宗教というか神様は自担です(冗談です)

まぁ家庭内でも父親に金を取られかけたり、父親が入院したりで情緒不安定は悪化していきます。メンヘラってましたね。


⑥転職先でもパワハラ?に合う

コールセンターの発信。要するに営業するのにつきました。コミュ障には向いていないかもしれないが、これが出来たら営業などもやっていけるかもしれない。そんな下心で応募しました。駅から近く、仕事も不器用ながら成果も出ていて、充実感はありました。

その日は普通に仕事をしていたんです。お昼ご飯を食べた後急に腹痛と吐き気が身体を襲います。耐えながら1時間、2時間と仕事をしていたところ社員に声をかけられます。

気持ち悪いと返答したところ、他に働いてる人達がいる所で体調が悪いからって仕事をサボるような人と思わなかった、ガッカリした、と言われ。帰るか残るか聞かれた為帰ると伝え帰り道の病院で薬をもらいました。もうズタボロでした。このままじゃ死ぬと漠然と思いました。

翌日、体調を崩して嘔吐した為、次からの出勤を辞めるという連絡を入れ、退職しました。引き止められたところを見ると、多分悪意はなかったんでしょうね。それがまた悲しくなりました。


そうして私は無職になりました。

フラッシュバックするストレスや、胃腸風邪を引きずって部屋で大人しくしています。

死にたいなぁとかなり思うのですがjumpのチケットは当たってるし、素顔をまだ受け取ってないしで中々死ぬタイミングがありません。ジャニーズは生きる希望。

もう少し元気が出たらまた働きに出たいとは思っていますが、それまでどうか、休ませてください。


後半はただの日記になっていましたね。

鬱だから何も楽しめないわけではないんです。本当に微かな希望に夢を見て、毎日踏ん張っています。

最後に私を構成する自担である薮くん、きょも、みっちー。Hey!Say!JUMPSixTONES、生きててくれてありがとう。